京都議定書は先進国が二酸化炭素の排出削減を約束し合う枠組みです。この削減目標を全参加国が達成すれば、世間は"よくやった"と思うかもしれません。しかし、これは人類の自己満足でしかないと考えることもできます。というのも、地球にとって京都議定書とは人家に住んでいるゴキブリが失敬する食料の量を計画的に削減しようとしているようなものだからです。ほとんどの家主はそれでゴキブリの存在を許す気にはならず、様々な駆除グッズを駆使して皆殺しにしようとするはずです。地球にとって人間はこのゴキブリと同類のはずです。なので、削減はするのが当たり前、というか京都議定書でもかなり不充分です。もちろん、アメリカのように最も大食漢にもかかわらず、失敬する食料の量を抑える枠組みに参加しないというのは論外です。
人類は地球にとって計画的な害虫と考えることができ、よほど文明を後戻りさせない限り、それ以外の存在にはなれません。しかし失敬する食料の量を計画的に削減することは、知能を持つ人類だからこそでき、また知能が生んだ文明が二酸化炭素を排出しているのですから、絶対にしなければなりません。また高度な知能が環境破壊を招くというのはある程度必然的なことです。だとしたら、温暖化問題は人類が本当に賢い知的生命
かを問う宿命の戦いといえるかもしれません。(という訳で、サイトタイトルに"宿命の戦い"を入れています)
基本的に自然の仕組みというのは良く出来ています。一方、人類の起こしている地球温暖化は、文明が自然の仕組みの許容範囲を超えたものと考えられます。つまり、自然の仕組みではどうしようもない現象が起きているのです。もう、自然は地球環境の保全を人間が自ら行う温暖化対策に賭けるしかないのか!?いや、そんなことはないかもしれません。人類に対し、自然は恐るべき罠を用意している可能性があります。それは、知的生命が誕生し、地球環境を破壊するまで文明を発達させた場合、その文明が起こした環境異変で自滅させるというものです。温室効果ガスは排出が停止すれば、植物等の生物や海洋に吸収され、濃度は下がります。今、温室効果ガスの排出がゼロになっても気候変動は100年続く、という説がありますが、これは100年後からは自然の自浄機能で回復し始めると考えることもできます。そうなれば、自然が自ら温暖化による環境破壊を食い止めたことになります。
もちろん、人類が温暖化対策でこの罠を回避する可能性もあります。ただ、現状では多かれ少なかれ経済発展を犠牲にしなければ難しいです。炭素税、環境税や排出規制による分かり易いが、人類滅亡とまではいかないダメージや面倒くさい温暖化対策。地球温暖化による分かり難いが、人類を滅亡させるかもしれない危機。今、人類はどちらが重要なのかを言い争っているのです。自然が今も掘り進めているかもしれない落とし穴の上で…
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